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6月8日の夕方、パリのCDG空港からウイーンへ飛ぶ。クラウディアとのデュオ公演のために一緒に前日入りします。
二人で移動するのはなんと楽なのでしょう。飛行機に乗っていても肩の力がうんと抜けているのをかんじます。やっぱり旅は道ずれ。

ウイーンの空港に到着し、迎えに来たタクシーでホテルに直行。タクシーの運転手はドイツ語で何かしゃべっているけれど、クラウディアもわたしもちんぷんかんぷんなのです。ホテルはミュージアム・クォーターから目と鼻の先ほどのところにありましたから、ロケーションは抜群です。ミュージアム・クォーターには、近現代美術館、博物館、レストラン、ショップなどが複合した巨大エリア。その一角に、今回のわたしたちのコンサートを含むアートイベントを主催している機関Tanzquartierの施設も入っています。
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6月9日、サウンドチェックまでまだ時間があるので、近場のミュージアム・クォーターあたりを散歩することにしました。レオポルト美術館にはクリムトやエゴン・シーレの重要なコレクションがありますが、ぜんぶは見切れないとあきらめて、現代美術館kunsthalleで開催されていた展覧会『Summer of Love』の方へ行きました。60年代から70年代初期のサイケデリック・カルチャーを扱った絵画、写真、映像、インスタレーション、ファッション、音楽が網羅されていました。フラワー・パワー全開のロンドン、サンフランシスコ、ニューヨークのロック・ドキュメントなどなど。くねったレインボーカラーのソファー空間や連続フラッシュのたかれるインスタレーションを実際に体験すると、ほんとうに瞳孔が開いてくるようなかんじ。いいのかな? 本番前にこんなハイな刺激をうけて(笑)。

一方、クラウディアはホテルの部屋に閉じこもって、身だしなみを整えたり、いつもより長めの発声練習をしていたようです。地下鉄Uバーンでたった一駅、Karlsplatzで降りたらすぐそこはClub Uなのです。ふだんはふつうの駅前カフェ・バーとして機能しているようです。7時になると、エンジニアがやって来てPA機材を持ち込みました。
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サウンドチェックは終了後、「どっか一緒に食べに行く?」(関西弁です)なんとウイーン在住の内橋和久さんファミリーが会いに来てくださったのです。かえさんも「ようこそ、久しぶり〜」。愛娘のかのんちゃんも口を開きました「おばちゃん、どっかでおーたん?」。 (う〜、やっぱ、おばちゃんかぁ、だよねぇ、、)と口ごもっていたところへ、「Hacoちゃんだよ、大阪で逢ったことあるやろ〜?」と内橋さんがすぐさまフォロー(笑)しました。
で、そのあと一緒に食事に行った近くのレストランなんだが、待てども待てどもオーダーが出てこなくて、やっとサラダの皿がテーブルに運ばれたその瞬間。
「Haco、開演するから来て!」とケータイに呼び出しが。しかたなく、すっ飛んでClub Uにもどったという次第です。

9時半、声とエレクトロニクスのデュオで静かなはじまり。会場いっぱいに集まったお客さんは、演奏がはじまってもしばらくはザワザワしていました。天井のミラーボールが廻っているのにもちょっと苦笑い。クラウディアは、ステージの無いカフェスペースで客を目の前にしたライヴは初めてだそうです。これまで恵まれたシチュエーションでパフォーマンスしてきた彼女は本番前からナーバスになっていました。わたしの方はこういうのに慣れていますけどね(笑)。それでも、会場中の雰囲気はどんどん演奏にひきこまれていくようでした。クラウディアはいつだって全力をつくしてのぞみますし、舞台度胸のある人。そういうところが客に伝わって最後には大きな拍手になっていったんだと思います。あと、終わってから「何のソフトを使ってるの?」と若い男性客やエンジニアがわたしに訊いてきたりもしました。
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6月5日、午前中からメトロのパルマンティエ駅に向かった。インディペンデントなダンス・スペースMenagerie de Verreで、明日のトリオ・コンサートのためのゲネプロです。一階のホワイエとカフェの奥に、たっぱの低い横長のスペースがあり、そこが平ステージとなっています。二階にはダンスの練習スタジオと事務所がありました。PAを組んでもらい、照明のセッティングも今日中に終えなければなりません。こんなダンスのスペースでわれわれのようなコンサートをするのはめずらしいことかもしれない。「詩のシリーズ週間ということで招かれたのよ。しかもフリー・コンサート」と、クラウディアは前に説明していました。ダンス界では振付家として彼女の名はかなり知れわたっているようですが、ここ数年は踊りたがらず、自らの声をつかった舞台をつくりあげています。

「おやすみ前のリラックスした雰囲気、日本の伝統音楽の甲高い音、ロックっぽいリズムものなんかが音ネタにほしいってEメールに書いてたよね。だから音ネタを用意したんですよ」ってわたしは、練習の時からてきぱきと物事が進行するようにもっていきました。即興からはじまって、スピリチャルな声、童謡っぽい唄、オペレッタ風、ノイズ・ヴォイスなど様々な要素をカットアップのようにつなげていくのが、クラウディアの嗜好する音楽。やはり芝居っぽいというか舞台性から入ってきている人だな、っていうのはよく感じます。たとえば、ステージの両脇にPAスピーカーがスタンド立ちでセッティングされていたんですが、「舞台上の景観が美的ではないので」といって、わざわざエンジニアにたのんでスピーカーを床置きにさせるんです。音楽畑にいるわたしとしては、PAはよく聞こえりゃいいじゃない程度にしか考えませんが、その徹底ぶりには驚かされます。
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6月6日、客の出足が遅くて少しおしましたが、満席になり、夜9時にスタート。
クラウディアの歌や語りにわたしのラップトップが寄り添い、ミッシェルのサンプル音がからみます。おおまかな曲の枠ぐみはあるけれど、その時々の感覚で即興の部分も残しているトリオの演奏です。イタリア人のクラウディアはドレスアップするとちょっと昔風な女優さんのように美しい。でもコメディアンや宇宙人のような性格も時折り披露するんですよ。


mamit+haco.jpg楽しみながらのショーを終えると、わたしはロビーにすぐ顔を出しました。友人のミュージシャンMami-chanが、今夜のコンサートを見に来てくれていたのです。彼女はパリの近郊ノルマンディーに引っ越してしまいましたが、以前はモンマルトル近くに住んでいました。ちょうど、バンド公演の仕事でパリ市内に数日泊まっていたとのことで、こうしてお互い会うことができてよかった!ケータイで記念にパチリ。
6月4日、昼過ぎにポルトガルからパリのアパートに帰ってきた。
快晴。ようやく夏のおとずれを感じられるほど、気温も上がっていました。

本来ならリハーサルをするはずだったんですが、日曜日でスタジオが混んでいて、クラウディアの方でうまく予約できなかったという。だけど、ミッシェルとの三人リハは、CNDに練習場所を移してからずいぶんと効率よく進んでいたから、本番までには大丈夫そう。音ネタの即興からさくさく新曲もうまれていましたし、コンサートには間に合うにちがいありません。
おかげで、わたしは本日オフをいただきました。

余暇ができてしまったので、しばらく窓の外を眺めていたら、ふと思いつきました。
「そうだ、日も長くなっているし、あのサクレ・クールまで歩いていけるわ」。

このアパートに来てこのかた、白いサクレ・クールの教会の屋根が遠景にのぞき、たえずこちら見守ってくれるようなかんじがしました。朝は朝で、精白な情緒ある存在感をただよわせ、夜は夜でライトアップされながら、青白く浮き立って神聖さをきわだたせます。4年前にいちど訪れたことがありますが、パリの人々に愛され魂をいやしてくれるサクレ・クールへ、ふたたび足を運ばないわけはないのです。

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巨大な聖堂の美しい屋根が見える方向へと、モンマルトルの丘のてっぺんまでひたすら登っていけばいいのですから、どうしたって迷いようがありません。石畳の坂道を上がっていくと、それらしき後ろ姿が見えてきました。正面の広場からはパリの街が一望でき、多くの観光客が石階段のうえに座っていました。すぐ近くには似顔絵描きの画家やみやげもの屋、カフェでにぎわうテルトル広場。

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「ここに来てよかった」。
ひとやま越えられたような気がしました。
父の手術が成功したこと、ポルトガルのソロ公演を終えたこと。
丘のうえから、しみじみと景色を眺めていました。
6月2日、午前中にパリのアパートからタクシーでオルリー空港へ。これからソロ公演のために、ポルトへひとっ飛びすること約2時間。ポルトガルを訪れるのは、初めてのことです。参加するセラルベス・フェスティバルに関しては、クラウディアのアソシエーションとはまったく別口で出演依頼が来ていました。わたしのヨーロッパ滞在の日程とうまく合いスケジュールに加えることができたのです。

ポルトの空港に着くと、ここは夏日でした。からっとした雲ひとつない青空が広がり、サイコー! やっと、長袖の上着を脱ぎ捨て、ノースリーブに着替えることができそうです。フェティバルのポスターを広げて出迎えてくれたスタッフと車で移動。街角のホテルでしばし休憩後、さっそく会場入り。本番は明日ですが、大規模なフェスティバルのため、前日にサウンドチェックをすることになりました。

現代美術館Museu Serralvesの3階ホールでわたしは演奏することになっています。ここは音響もよくて、歌のリバーブやラップトップも出音も問題なく、すんなりとチェックは完了。「500席あるけど、フェスティバル中はほとんど埋まってしまいますよ」と、ディレクターのペドロは話していました。
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「まだ、 会場ぜんぶを見てませんよね」ペドロに連れられて、国立美術館の完璧にデザインされた白建物の1、2階をさっと歩き回ると、クリスチャン・ボルタンスキーの展覧会なども開催中でした。表玄関から出て、広場を横切り、小さな森のなかに入っていきました。「ここには1920年から40年にかけて作られたいろんな18種類のガーデンがあるんです」。淡いピンク色の砂道が優雅です。幾何学模様や小さな噴水、バラ園など、美しく手入された庭。そして目の前には、たいそうきれいなピンク色の建物があらわれました。1925年代のアールデコ建築で、現在は美術の展示場として、館内が再利用されています。
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6月3日、いよいよセラルベス財団の広大な敷地内をぜんぶ使った、2日間のフェスティバルの幕開けです。この日だけは、すべての会場が入場無料で、ガーデンへの出入りも自由です。一般市民にももっと現代アートに触れて欲しいという趣旨で、セラルベスの企画部が3年前に始めたこのフェスティバル。昨年は2日間で入場者数が5万人を超えたそうです。

わたしも昼間から、客になって屋外で繰り広げられているイベントを見物しにいきました。各国のコンテンポラリーダンス、アートパフォーマンス、サーカス、人形劇、野外ステージでのコンサートなど、プログラムは盛りたくさん。さすがに家族ずれや老若男女で賑わっています。
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庭のなかに数種のサウンドオブジェを設置してあり、自由に触れて楽器のように鳴らすことができました。作家のヴィクトル・ガマさんがこれから湖のほとりでサウンドパフォーマンスをするというので、まよわず見にいきました。小さな湖の両岸に弦を張った音響彫刻を棒でたたいたり、こすったりすると、ビョーン、ビューンと神秘的な響きが木霊しました。「こんどアキオ・スズキとロンドンでコラボレーションするんですよ」そう彼が言ったのにもなるほど頷けます。
実はこのフェスティバル、日本のアーティストとしては、鈴木昭男、メルツバウ、ヤマタカ・アイが過去に出演されているとのことです。
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stage.JPG夜7時すぎに、わたしの演奏の本番開始。フォーマルな会場オーディトリウムはほぼ満席でしたし、拍手もいいタイミングできました。しかしステージに一人立つというのは心細いときもあって、自分のなかから盛りあげていかなくちゃなりません。屋外でも魅力的なイベントが繰り広げられているので、家族づれなどが途中で席を立ってしまうのではないかというおそれもありましたが、どちらかというとポップな曲をすこしはしょって、エクスペリメンタルな方向に曲順を変えていった。50分の歌とエレクトロニクスの演奏を無事終えることができた時には、正直ほっとしました。ペドロや舞台監督のアルベルトもコンサートを楽しんでくださったようで何よりです。外に出たら、「Hacoさんの音楽大好きでした! ポルトガルは他にコンサートしないんですか?」って若い女性が話しかけてくれて、すごく嬉しかったです。

スタッフや出演者専用のまかないレストランで夕食。チーズと白魚とじゃがいもをオーブンで焼いた典型的なポルトガル料理。薩摩揚げ(いわゆるテンプラの元祖?)にそっくりなのがありました。デザートのヨーグルトケーキもとても美味!

夜の10時半になると野外では照明がたかれ、モロッコのサーカス団の見事なアクロバッドが人気を博していました。わたしは明朝の飛行機でパリに戻るため、途中でホテルに退散することにしました。

セラルベスで働くスタッフは、ほんとうに思いやりがあって、わたしが廊下なんかでうろうろしていると「どうしました? 手伝うことないですか?」とかすぐに明るく声をかけてくれました。若い人たちは英語も上手なのです。
「オブリガート!」。ポルトは、またいつか訪れたい街。こんど来るときはゆっくりとして、歴史地区なども観てみたいものです。
5月31日、今朝はめずらしく晴れ間がみえた。パリに来てから毎日のように曇り空で雨もちらつく。
リハは夕方からなので、すこしオフの時間がある。どうしようか? ケータイの世界時計を見る。部屋に閉じこもっていても、神戸の父の手術のことが心配で、気が気ではない。
思い立って、外を出歩くことにしました。

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地下鉄メトロで乗り換えなし、あっという間にコンコルド駅に着いた。出口すぐに現代写真ギャラリージュ・ド・ポームを見つける。ミッシェルに教えてもらったとおり、今シンディー・シャーマンの回顧展を開催中。行ってみることにしました。すべての作品は"Untitled"だということに気づかされた。80年代の作品にはあらためて霊感させらるものがありました。

公園の向かい側には長蛇の列が渦を巻いていました。きっと、オランジュリー美術館への入場待ちをしている人々でしょう。昨年、改修工事で閉鎖していました。モネの『睡蓮』をいちどはここで鑑賞したいものですが、あの列に並ぶ余裕は今のわたしにはありません。

コンコルド橋からは、エジプトから贈られたオベリスクや、遠方にエッフェル塔、ノートルダム大聖堂など、パリを代表するモニュメントが眺望できる。革命時には血なまぐさい処刑場となった場所とは想像もつかないコンコルド広場。O字型の道路には車がひっきりなしに走っていたし、はしゃぎながら観光する人々を見るにつけ、わたしはぽっかり取り残された気分になりました。

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ふたたびチュイルリー公園にもどり、緑のなかを早足で歩きまわっていると、雲の合間からにわかに青空が顔をだしました。ジュ・ド・ポームの裏手には、かつてのチュイルリー宮殿の柱の一部が残されているという。植木のあいだには、石像やブロンズ像、ポップなデザインのものにいたるまで、さまざまな野外彫刻が置かれていました。木陰で読書をする人、アイスクリームをほうばる子ども、人々が思いも思いにくつろいでいました。こうしながらも日本との時差があるので、どこか時空をさまよっているような気がする。


ケータイの世界時間を確かめたら、日本は夜9時ごろ。それは10時間におよぶ手術だと聞かされていました。
わたしはまず公園のベンチに腰掛け、緊張しながら実家に電話した。

「あのね、いまさっき家に帰ってきたところで」 
母の声は電波が地球を一周しているとは思えぬクリアさで、
「うん、お父さんの手術ね、うまくいって麻酔の目覚めもすこぶる良くって」。


ああ、助かった〜、心底。深く息を吸いなおし、空を見上げた。
もう自分がパリでも西宮でもどこにいるでもなく、ただ陽差しが明るく降りそそがれているのを感ていました。
5月30日、アパート生活にもぼちぼち慣れてきた。部屋の住人は若い女性で、一ヶ月間のバカンスでベトナム旅行に出かけているということでした。壁、天井、床は白く塗られていて、写真やエスニックな小物がさりげなく飾られていた。棚にはアートや仏教、ビートニックの本が並んでいて、日本のおたふく面や、アフリカ模様のひょうたんも見られました。小さな冷蔵庫にはまだ現像されていないフィルムが数本保存されているから、写真家なのかしら? 床にはファッション雑誌が積み上げられていて、幅広くいろんなものに好奇心のある人。そんな素敵な娘の小さなフラットをつかの間借りることができたのですから、居心地はとてもよかった。

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実は、パリに発つ前から心配ごとがありました。神戸に住むわたしの父が急病になり、手術を受けるのが明日に設定されていました。海外にいては手術の立ち会いができないので、不安なおももちでした。そんなところへ、旅行の数日前に、西宮の拙宅の周りに置いていた四つ葉のクローバーの鉢を二つ、何ものかに盗まれました。ささやかだけど、幸運を呼ぶクローバーを持ち去られたのはいささか気分が悪かった。父のこともあるし、渡航前でもあるし、、。

ところが、偶然のめぐり合わせか、このアパートの表扉には、写真をくり抜いた四つ葉のクローバーが貼ってあったのです。おまけに、窓辺にはほんものの四つ葉のクローバーが二鉢置かれていた。わたしは目の前がちょっぴり明るくなりました。Good Luckの兆しを眼の端に入れながら、安らぎをかんじて過ごすことができるなんて。だから、この7階部屋で暮らす住人にも、感謝しなくちゃ。


昼過ぎに、メトロに乗った。パリの地下鉄の車内では、ラジカセを鳴らしてヒップホップのMCをはじめるアラブ人のティーンエイジャー、アイリッシュ風バイオリン演奏をはじめる老人など、小銭かせぎで演奏する人たちをよく見かける。ほとんどの乗客は見て見ぬふりをしていますが。これもカラフルな人種のうずまくパリのひとこまではあります。どんな人種であっても、改札出口の扉を押さえてすぐ後の人が通りやすくしてあげたり、そうしてもらった人が「メルシィ」と軽く礼をいうマナーは、とても気持ちのいいもんです。

オシュ駅からまっすぐ歩いて、Centre National de la Dance(国立ダンス・センター)に向かった。現代風コンクリート打ちっ放しの立派な建物が目の前に表れました。ロビーにはスタイリッシュなソファーが配置されている。ダンススタジオ4に入ってみると、広くてなめらかな木のフローリング、壁には大きな鏡、アップライトのピアノやPA機材まで設置されていた。クラウディアが新作のクリエイションを始めているところです。
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「Gabin (Nuissir)よ」と彼女は今回共作するダンサーを紹介しました。彼はにこやかに微笑んで、「東京でショーをしたことがあるよ。アジアの文化は大好きです」と挨拶しました。アフリカ系のハンサムなダンサーで、柔らかな話し方をします。名前の発音をカタカナにすると"ガバー ン"に近い。「20年前にヒップホップのダンスチームを設立して、フランスでは先駆者。ある時期はスター的存在だったのよ」。前もって、クラウディアから彼の経歴を聞いていました。二人の新作ダンスの音楽を担当できるなんて、わたしにとってすごく光栄なことです。

さっそく、スタジオ4の機材をチェックしてみました。「ここで音が出せないかもなんて、誰がいったの?」とわたしは呆れてもの言った。シンプルだけど、われわれがリハーサルや創作するぶんにはじゅうぶんな機材が装備されていた。ミキサーやスピーカーも新しく、パワーも申し分ない機種で「はっきり言って、昨日の練習スタジオよりもずっと音質が良好なのよ」。この長時間無料で使えるダンススタジオを予約しておきながら、クラウディアたちがわざわざ別の貸しスタジオにお金をはたく理由なんかどこにもありませんでした。

そんなわけで、明日以降はこのダンス・センター(略称CND)で音関係のリハーサルもおこなうことに決定!
5月29日、どんよりと曇っている。出がけの大阪の気温にくらべて、パリはずいぶんと肌寒く、室内でもウインドブレーカーをはおってしまう。午前中のうちにアパートの周辺を散策。近くのストリート沿いにはパン屋や八百屋や肉市場、二種類のスーパーマーケットも道路づたいに並んでいて便利。Monoplixはパリのいたるところにあるチェーン店で品揃えがいいが、生鮮食品などの値段は若干高めだそう。手軽に自炊できる食材を買ってひとまずアパートに戻る。

ずいぶん狭いキッチンだけれど、電気コンロと冷蔵庫と流し台がコンパクトに揃っている。さっそく紙パックの野菜スープを温めて飲んでみる。セロリ、スクワッシュ、ニンジンなどがミックスされてどろっと濃厚なので、やや水で薄めるとけっこう美味しい。日本ではこんな野菜本来の味がするスープは普通のスーパーではお目にかかれないなぁ。これ、時差ぼけや身体の疲れを調節するのにはもってこいでした。

食後にシャワーを浴びてから、近所でインターネットが使用できるサービス店に出かける。カフェというより、パテーションをしたデスクにコンピュータが置いてあるだけ。支払いカウンターは銭湯の番台みたい。こういう洒落ていないサイバースポットはどんどん増えているらしい。最低15分1.5ユーロと安いのですが、webメールをチェックできても日本語フォントで返事できないのはいまひとつ魅力にかける。
わがアパートの部屋は電話回線を閉じてしまっているので、ラップトップの内蔵モデムでダイヤルアップも無理なのよね。ここフランスでも、独り暮らしの若者はケータイしか使わなくなっている傾向にあるようです。

今回、旅行鞄の中にもう一つ薄手のキャリングケースを入れてきたんです。鞄のなかに鞄、まるで入れ子ように。宿泊するアパートが7階だと聞いていたので、楽器をかついでの上り下りがたいへんだと、苦肉の策。おかげで衣類はあまり持ってこれなかった。夕方、機材を入れた小ケースを転がしリハの場所へ向かう。やっぱり地下鉄の移動にはこれが軽くて正解でした。

切符売り場でもらえるメトロの路線図は、ちっちゃく折りたためてとてもハンディーだから、旅行者だけじゃなくパリっこも大いに利用しているようです。パリ市内にはメトロが網の目のように走っているので、方向音痴のわたしでも線を乗り換えればどこにでも行ける。でも、あれれ、12番線からピガールという駅で乗り換えようとしたら路上に出てしまい、きょろきょろ。人々の行動を観察するに、2番線の地下入り口までおりて、また自動改札に乗車済みの切符を差し込まなければいけないんだ!ということが判明。改修工事中の駅もあったりと、メトロも少しずつと変化しているようです。


studio.JPG最近、若者が集まっているらしいメニルモンタン駅近くのスタジオに到着。クラウディアともう一人の共演者ミッシェル・ギイエが待っていました。彼とは昨年『オペラ・シャドウ』という作品でもご一緒しました。このトリオで6月6日にパリでコンサートをする。そのリハ初日なんですが、もろ、レンタル練習スタジオではありませんか。なんでも、国立ダンス・センターのスタジオを予約していたのだが、そこでは音だしができないのではないか?とスタッフが慌てふためき、急遽このスタジオを借りたそうです。マイクはへこんでいるし、スピーカーはへたれているし、受付の兄ちゃんは暇つぶしにギターを弾いているし、なんだか大阪でも見慣れている光景ではないですか。ロック的なものってユニバーサルにちがいありません(笑)。

で、リハの方は、とりあえずスピーカーから音が鳴っているよというかんじ。ミッシェルのサンプルはあいかわらず暗いトーンの持続音が多く、他の音をマスクしてしまいがち。クラウディアは何も曲を用意していなくて、即興でつぶやいたり、リーディングをして可能性をさぐっている。わたしはコンピュータで音ネタをだしながら、「パリにまできて、この調子じゃなぁ、、」と頭のなかでぼやいていました。
このたび、振付家でビデオ・インスタレーションなども手がけているヴォイスパフォーマー、クラウディア・トゥリオッジに招かれて、パリで一緒に制作公演しました。彼女と仕事するのはこれで三度目。 その他、ポルトガルの美術館の記念フェスティバルで歌ものソロ公演。 ウイーンではイベントの一環でクラウディアとの即興デュオ。 残りの時間はパリで新作ダンスプロジェクトの音楽製作をしました。
5/28〜6/14にかけての旅日記を書きつづっていきます。
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5月28日、夕方6時半にシャルル・ド・ゴール空港に到着し、タクシーで18区のモンマルトル方向へ。ジュール・ジョフランという小さな広場近くの通り沿いにそのアパートの番地はありました。タクシーから下りて、アパートの前でしばらく待っていると、急ぎ足でクラウディアのマネージャーのソフィーがやって来ました。「久しぶり!」お互いの頬に挨拶のキスをする。短期滞在のためにアパートの一部屋を彼女が手配してくれたのです。「手伝うわ」と機材を詰めた旅行鞄をソフィーが担いで木の階段を上っていきます。彼女の息がはぁー、はぁーと苦しそうになってくる。エレベーターなしの7階なんて、なんたること! 
それでも最上階の部屋の表ドアに到達し、鍵を開けて室内に入ってみると、小ぶりながら家具やベッドやキッチンやバスルームや何もかもが揃った心地良さそうなフラット。ソフィーは物のありかなどを説明しながら、窓からぶら下がっていたカーテンをめくりおどけて言った。「ほら、見てのとおり、あなたはたしかにパリに居るわよ」。窓の外を覗くと、遠目にもサクレ・クール聖堂の白亜のドーム状の屋根がくっきりと見えました。モンマルトルの顔といえばこれ!というほど憧れの景色を手に入れた気分です。

さあ、パリ18日間のアパルトマン生活のはじまりです。

鞄のなかの服や機材をささっと仕分けしてから、さっそくクラウディアのケータイに連絡。「あはーっ、、Haco!」聞き慣れた朗らかな口調。「じつはね、今そこらへんに向かって歩いてるところなんだけど、あわわ、、英語がでてこない、、あわわ、、通りを見つけるわ」。というわけで、クラウディアがボーイフレンドのシリールと一緒にこのアパートを探して訪れました。再会の喜びを分かち合い、明日からの予定を簡単に打ち合わせてから、三人で散歩に出かけることになりました。

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モンマルトルの丘へ石階段を上ると、狭いながら緑の美しいブドウ畑「クロ・モンマルトル」が広がっていました。そのすぐ近くには老舗シャンソニエ「オ・ラパン・アジル」がある。外壁がサーモンピンクのかわいらしい歌声酒場だが、ピカソやユトリロをはじめとする芸術家も通ったという由緒ある店だという。入り口前で二人を記念撮影(ずいぶん、ぼけぼけの写真になっちゃいましたが、、)。







さすがに飛行機の長旅の疲れもあるので、初日はもうこのへんまでにしておきましょう。
10月27日、会場への入り時間は午後4時だから、昼間はすこし観光。ホテルで朝食をすませ、わたしはそそくさとメトロに乗る。ポンピドー芸術文化センターで現在開催中の「DADA展」を観にいくのです。パリに来たら必ずといっていいほど、毎回この国立近代美術館を訪れます。1階のチケット売り場ではすでに長い列がうずを巻いていた。さすがに「DADA展」は人気が高いのです。待っているあいだにフロアを見渡す。ちょっと前までは体育館みたいで若干時代遅れの印象だったポンピドーですが、改めてこうして眺めると、天井からパネルなど容易に吊り下げられる構造で、常にリフレッシュ可能で機能的な設計になっているのだと再認識。20年後も30年後も見越して造られてれているのでしょう。入場券を買うだけで30分以上もかかった「DADA展」は、作家、系列、文脈で細かく仕分けされた48ものブースを巡る大規模なもの。フランシス・ピカビアの絵コラージュやマン・レイのレイヨグラフィーなどなど、まとめて見ることができ、来たかいがありました。同時期に同素材を使っていたり、回答的な作品もあったり、かなり互いに意識し合い、影響し合っていたことが分かります。そして、いつのまか一番奥の広い部屋に足をはこんでいた。ここでは展示の白壁が取り去られ、ガラス張りになった窓からエッフェル塔やサクレ・クール聖堂までパリの絶景が展望できました。展覧会の鍵になるマルセル・デュシャンの作品「大ガラス」を透かして、その向こうにはパリの美しい街並みが見えたのです。
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さて、会場Les Laboratoiresでは、サウンドチェックを兼ねて部分的にリハ。昨夜の演奏中、わたしの音のモニターが聞き取りにくかったので、ヴォリュームを上げてもらう。音楽は各楽章に分かれて構造は決まっていますが、譜面に書かれてあるのではなく、声とエレクトロニクスの出方で毎回変わる即興の要素をもっています。新鮮な気持ちで望めるのでいい。クラウディアはまだ昼間のうちに、照明担当のオフェリアンとスクリーン・イメージについて手直しを続けている。「Opera's Shadow」は毎日更新されているのです。

10月28日、最終日。だんだんと余裕がでてきて、入り時間は午後5時です。よって、わたしは昼前から出歩くことにする。メトロに乗ってイエナ駅を下車。現代アート美術館パレ・ド・トーキョーへ向かう。Robert Malavalというアーティストの作品は今までぜんぜん知りませんでした。ラメでサイケでロックなフランス版ポップ・アートというかんじ。彫刻は乳白色の蝋燭をとかしたフリークな形態。これまであまり成功していなかったようで、作品をいま一度見直す風潮があり、初の回顧展となったそうです。他の展覧も興味深くざざっと見学。荒木経惟氏の日本人モデルを使ったライブ・脱・フォトセッションの記録ヴィデオも一角で展示されていた。館内にはHello Kittyグッズも売られているブティックやミュージアム・ショップ、カフェなど、いずれも今どき風。パレ・ド・トーキョーを出て建物の裏側に回ると、セーヌ川を隔てた木々の間から、エッフェル塔の先っぽが見えるではありませんか。わたしはそこへ向かって散歩することにした。曇った空から小雨がぽつぽつ降りだしました。でも平気。このところパリは妙に暖かいので。残り時間はそうありません。道路わきの枯葉つもる並木路を早足で歩み、イエナ橋を渡ってひたすらエッフェル塔に近づいていく。手には携帯をカメラモードにしてパチパチ。もう100%おのぼりさんです。たぶん10年くらい前にエッフェル塔を見物したことはあるけれど、それ以来のこと。いやがおうでも焦がれていく、それがパリという街の魔力かもしれません。
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楽屋では、「今夜もまた大入りですって」とクラウディアが愛嬌たっぷりに微笑んだ。この分野においてパリでの彼女の人気ぶりを物語っています。幼少からダンスを始めたイタリア人の彼女は、振付家としてパリに移り住みもう20年、ここで創作活動を続けています。ダンス界の異端児、近年は身体表現より、ヴォイスやサウンドパフォーマンスにより挑戦するべき糧を見いだしているようです。舞台装置や全体のコンセプトに至るまで、斬新なひらめきを具現化してきました。「Opera's Shadow」のモンペリエ公演までは、照明プログラミングに関してまで手がまわらないという課題が残りました。あれから少しずつ、担当者と調整しながら磨きをかけてきたのです。わたしは思うに、スクリーンに光で描かれ移り変わる色彩は、なんとも儚い、まるでステンドグラスのような透明感がある。陰影でできた線は、微妙にぎざぎざがあったり、ずれていたり、いびつだたりして、そこが美しい。ヴィデオ画像やフィルムとはまったく違ったもの。音楽は、特に古典的だったり、ファニーだったり、騒音的だったりする。けっしてすべらかではなく、ざらざらを残したかんじをクラウディアは好みます。シリールが口にした言葉、「スピリチャル」な要素が、どこかこの作品の根底に流れているのかもしれません。
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最終公演が終了。「おめでとう」。Les Laboratoiresのディレクター、イヴァンヌさんがシャンペンを開けて、たくさんの来客や友人たちと祝杯をあげました。

明日の朝、わたしはパリを発ち、家路へと向かいます。
10月23日の早朝6時半、わたしを乗せたオーストラリア・カンタス航空の飛行機は、ほぼ予定時刻どうりに成田空港へ着陸。再入国手続きをすませ荷物を受け取り、国際線ターミナル1への連絡バスに乗り込む。そうなんです、お次はパリ行きのエールフランスにチェックインしなければなりません。今回の日程はたまたまオーストラリアとパリ公演がくっついていて、帰国しても家に戻る時間なんてありません。衣類はTシャツにコートと二つの季節のものを持ってきたし、楽器機材も両方のプロジェクトに必要なだけはケースに詰め込んである。オーストラリア公演を無事に終えて、気分は半分以上も軽くなっていた。数時間の帰国といっても、やはり自分の国なので、ほっとひと息をつくところはあります。グローバル携帯電話を国内モードに切り替えメールする。再び出国手続きをした後、待ち時間はたっぷりあるので免税店をのぞくことにした。ちょうどほしかったデザインの腕時計を見つけて購入。一つ旅に出るたびに、一つ腕時計を手に入れるのがいつのまにかクセになっているのです。午前10時半発、パリ直行便が離陸した。

hotel.jpg夕方4時にシャルル・ド・ゴール空港に到着。日本との時差がー7時間なのでパリはまだ23日。空港からタクシーを拾って市内へ走る。見覚えのある路に出てきた。「そうそうこの教会の前よ、ここで停めて」とわたしはタクシードライバーに伝えました。今年5月に訪れたこのホテルは、気さくなフロントの雰囲気も部屋の様子も何ひとつ変わらない。しいていえば、最寄りの地下鉄ジョルダン駅が構内工事で閉鎖されていることくらい。ここから振付家クラウディア・トリオッジ宅までは歩いて5分ほど。さっそく「着きました」コールをすると、クラウディアとボーイフレンドのシリールがわれんばかりの笑顔で即会いに来てくれました。6月にヴァレンシェンヌのスタジオで制作し、モンペリエ・ダンスで初共演した「Opera's Shadow」(参照: http://file.blog-haco.diskunion.net/2005/06/index.html)を、このたびパリで三日連続公演するので、わたしは演奏家の一人としてやって来たのです。クラウディアのアパートでは、今回から一緒に仕事するエンジニア、ピエール・ゴーフレとの打ち合わせがすでに始まっている。わたしは24時間以上の移動の疲れで猛烈に眠気がおそってきたから、早めにホテルに退散しベッドで横になることにしました。

10月24日の午後2時、パリ郊外でメトロのオーベルヴィリエ駅の付近にある会場Les Laboratoiresを、初めて訪れました。ここでは実験的なシアターやパフォーミングアート、ヴィジュアル、サウンドアートの分野の芸術家を招いたプロジェクトが催されている。建物内に入りホールを覗くと「Opera's Shadow」で使われる巨大なスクリーンの木枠フレームの組み立てがもう終わっていました。「ボンジュール!」もう一人の音楽家ミッシェル・ギイエ、照明オペレーターのオフェリアン・ドゥ・フュルサックにめでたく再会。本日は、各自の楽器類をフレームの背後にセッティングしただけで、こちらの用事はすんでしまった。照明の仕込みを待たなくてはならないからです。何しろライティングの色光と影だけで、大スクリーンにパターンを描くのだから、各照明のレイアウトは緻密な作業このうえありません。
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10月25日の午前中から仕込み。音響担当のピエールが多チャンネルのスピーカー・システムを設置して回線チェックをしている。今回の演奏をマルチ録音するためその準備も含んでいます。午後4時にやっと音出しをして、クラウディアの声とオブジェ、ミッシェルのサンプラーとエフェクト、わたしのラップトップとエレクトロニクスの三人の音量バランスを取る。6月の公演の感覚はすぐさま蘇ってきました。音響のピエールとも相性が良さそうです。Les Laboratoiresの入り口吹き抜けのホワイエには、大きめの板木の机と椅子がいくつも並べて置かれてある。昼間はスタッフがミーティングしたり、インターネットで作業したり、ランチを食べたり、もちろんイベント時には客が座って飲み食いやおしゃべりしたりと、多目的に使われる心地よいスペースです。1階には小ホールとスタジオ、アトリエ、キッチン、2階はスタッフ用のオフィスになっている風通しのいい空間。

10月26日、本番初日。午後2時には集合し、全員で通しリハをしていい感触を得ました。「満席ですって」とクラウディアがにっこりとして楽屋に伝えに来る。8時50分。三人の演奏者は、暗転した客席の脇を通って大きなスクリーンの背後へまわる。ショーはスタート。最初はすべてが真っ暗闇の沈黙。少しずつ少しずつ音が足されていき、クラウディアの美しい声のテーマがはじまる。スクリーンにはぼやっとした光がかろうじて浮かぶ。それから幾何学的な模様や色彩の変化をゆっくりとした動きで見せていく。音楽と同期するのではなく、二つの並行した時間の流れが作りだされる。客席からは演奏の様子はいっさい見えません。観衆は光のスクリーンと1時間ばかり対峙することになるのです。音楽が終わると、フレームの向こうから拍手喝采が起こりました。客席が明るくなり、わたしたちはスクリーンの前に並んで微笑みおじぎ。こうして、初日をオーディエンスの好反応で乗り切ることができたのです。
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HACO
歌手作曲家、プロデューサー、サウンドアーティストとして精力的に活動中。
元アフターディナー、ホアヒオ、ヴューマスターズ(現音採集観察学会)を主宰。
隔月刊ニュースレター配信中。

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