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4月20日、会場のLes Hallesでは、イベントシリーズ「Trouble #3」が開催されている。フランス語とオランダ語でバイリンガル表記されたカタログを見ると、様々なパフォーミング・アートの催しが年中びっしり企画されているようだ。木の内装の小劇場、体育館のようなに広い多目的スペース、ホワイエではDJ、ミニ展示、映像作品の上映会、建物の表玄関前でも路上パフォーマンス、と施設のいたるところで展開中。ホワイエのカフェ&バーもなかなかお洒落で、キッシュとフレッシュサラダなどの軽食もOK、何よりベルギーの発酵ビール(ブロンシュ)が安く飲めて嬉しい。
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今回は、ヴォイス・パフォーマーのクラウディア・トュリオッジと昨年パリで共作した組曲「 Fais une halte chez Antonella」をデュオで演奏することになっていた。控え室で彼女の声とわたしのラップトップとで復習してみる。サウンドチェックの通しリハもすんなりいきました。

大会場には2つのステージが設けられ、交互にプログラムが展開されます。3日間のフェスティバルのテーマは「Partitions - A perte de voix」とあって、声を使ったパフォーマンス、現代音楽、リーディングといったプログラム。なので、カタログには口を大きく開いたアーティストの写真が集められていて、ちょっとコワイ。ジョン・ケージやモートン・フェルドマンの声楽曲の演奏を聴き逃したのは残念でしたが、いくつかの公演を観ることができました。たいていフランス語なのでわたしにはよく内容は理解できないけど、わざともっさりとした味を挟んだコミカルなパフォーマンスが多かったです。実験音楽のヴォイス・パフォーマーと手法がぜんぜん違う、シアター系とでもいったらいいのか、とにかくこの手のパフォーミング・アートのフェスティバルに参加したのは自分としては初めてのことで、どうリアクションしていいのか多少面食らいました。

夜10時前、「 Fais une halte chez Antonella」の本番開始。仮設の客席には薄手のクッションが敷かれていて、カジュアルな趣。ステージは平でオーディエンスとの距離が近い。そのせいかとてもリラックスしていて友好的な雰囲気が漂っていました。時にみせるクラウディアのヴォイス即興も堅さがなく以前より大胆になっていました。観客のノリが良かったことが要でした。

初日コンサートの成功をクラウディアと喜び合い、つかの間の別れを告げました。「じゃあ、3日後にパリで合流ね!」

4月21日、オフの日なのだが、次の会場近くのホテルへひとりタクシーで移動。「2時からチェックインなのでまだお部屋の準備ができていません。荷物を預かっときますから、そこらをぶらぶらしてきてくださいな」とホテルのフロントマンが言う。時計を見たらまだ正午前だった。「このへんの地図はありますか?」とわたしは尋ねる。「いや、ここには無いんですけど、ツーリスト・インフォメーションなら300mほどの所にありますよ」。
身軽になったので、わたしは迷わず散歩することにした。青空が広がりもう初夏のように陽が差していた。ところが歩くにつれ、これは筋を間違えたのではないかという気がしてきた。見渡してもツーリスト・インフォメーションなどありそうにない。でも、明日にソロ演奏する会場Recyclartはこの近くじゃなかったかな? じつは2004年にチェロ奏者の坂本弘道さんとAsh in the Rainbowでツアーした時にもそこで演奏した。なんせ、旧シャペル駅の高架下に創設されたアートスペースで風変わりだ。斜めの方角に目線を移すと、高架に電車が走りながら曲がっていくのが見えた。沿線のコンクリート壁に添って歩くと見覚えのありそうな小さな公園。「あっ、この壁の落書きはまさしく!」Recyclart.roadside.jpg
そう、Recyclartに、あっという間にたどり着けたのでした。ただ昼間は全部の入り口のシャッターが降りていて無人状態らしい。ホテルに帰るのはまだ時間があり余っているので、そこからまた歩き続けることにした。教会巡りの案内板も道中に見つける、小さなギャラリーやお洒落なショップが小路に沿って立ち並んでいた。丘まで登っていくと立派な美術館や博物館のある大通りに出た。地図を見ながら歩いている観光客ばかり。また丘をくだり、初心にもどってツーリスト・インフォメーションを探すことにした。方向音痴の自分が地図もなしに迷うことなく元の位置(サイト)に戻れるなんて、われながらすごいと思った。独り旅は普段ない学習能力が開発されるのかもしれない。そして、通人に道を尋ねること数回、ついにツーリスト・インフォメーションのある広場に到達した。とどのつまりは、そこがブリュセル観光のメッカで、ギルドの栄えた歴史を残す絢爛豪華なグラン・プランだということが判明した。多くの観光客が広場に座り込んで感慨深げに時を過ごしていた。わたしは手に入れた地図を広げ、数ページのみの旅行ガイドをあらためて読んでみた。よもやあのRecyclartとホテルが、こんな観光抜群のローケーションにあるとは、つゆとも知らずに訪れたのでした。たった一人で歩き回ったけど、ゆったりとした休日を過ごせました。(ブリュッセル一日観光の写真は5/21の日記に貼っています)

4月22日、Recyclartはコンサート会場、ギャラリー、アトリエスタジオ、カフェレストラン、事務所をもった総合施設で、アートを通して地域社会や都市文化を結ぶような企画制作をしている非営利団体。市の援助を受けながら運営されている。先鋭的なアートを発信するとともに、公共の場でのオープンエアな催し、ホームレス対策のスキルなど地域に根ざした活動を1997年から続けている。
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昼2時頃からRecyclartでサウンドチェック。今夜のイベントはパリやブリュッセル在住のアーティスト達の他、ニューヨークからJim G Thirwell aka Foetus、ロンドンからLittle Annie、オーストリアからJorg Piringerと合わせて9組が主演。以前オーガナイザーのマーク・ヤコブさんからのメールでは、"詩とエレクトロニクス"というテーマのイベントだと書いてあったので、静かな電子音響のイメージを想像していました。ところが、他のミュージシャンのサウンドチェックを聴くにつれ、かなりデジタルな爆音系が多かったのでした。バーのカウンターに置いてあったフライヤーを見て、始めて納得。タイトルが「"Open & Shout" - Sound Poetry Spoken Word - Electronic Punk Rock & Noise」だったのでした。ヨーロッパのオーガナイザーってアバウトな説明しかしないのだなぁ。わたしは、歌とラップトップでわりと繊細なソロのセットを準備していたから、浮くんじゃないかとすこし不安になりました。

8時すぎにスタート。地元の若者がたくさん集まってきました。なんか高架下のアートセンターというのはSFチックな雰囲気があります。それに電車が通るたびに轟音が天井から響き渡るという特殊な会場です。ラップトップの激しいノイズミュージックの演奏が続く、各20分〜30分と短めに組まれている。Recyclartの企画スタッフでもあるLucille Calmelのパフォーマンスがまさにパンクというべきか。彼女は詩の朗読をしながら、自分の素腹にマチ針を何本も刺していくのでした。
10時頃、いよいよ自分のソロ。ざわざわしていた聴衆も集中するにつれ静かになってくれました。時差ボケの影響でちょっと声がコントロールしにくかったりもしますが、なんとか調子を上げて悔いのない演奏ができました。ほっ。

短い休憩を入れて2部のはじまり。じっくりイベント鑑賞することにしました。Compostという絶叫朗読ユニットで最出演のLucilleが、赤いラメの粉末をを口に頬張ってから、ぽわーっと吹き出しました。空中にキラキラした粉が舞い降りました。しかし本人の喉や眼や鼻に入ったら危険そうで、これまた刺激的。Jim G ThirwellのパンクロッカーなヴォイスとAngharad Daviesの端正なバイオリンも初コラボなのに上手く絡まってました。最後はピアノ伴奏で裏ブロードウエイ風に歌うLittle Annieの妖艶な舞台でしめくくられました。
終わったのは深夜2時頃、長い夜でしたがずいぶん楽しみました。

「今夜のイベントはすべてハーシュなかんじで、自分の演奏はデリケートすぎやしないかと、ちょっと心配しました」そうわたしが言うと、プロデューサーのマークは「たしかそう、なのでHacoでちょっと落ちつくようにプログラムを設定したんですよ、ほんと美しいパフォーマンスありがとう」とハンサムな笑顔をこちらに向けました。おまけに「Ash in the RainbowのCDは我が家のヘビーローテーションだよ。うちの坊主もよく聞いてます」とのこと。
出演ミュージシャンも気さくでいい人ばかりだったので、楽屋でわいわい盛り上がり、ホテルに戻ったのは朝の4時近くになっていました。
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*4/19〜5/10の約3週間、ブリュッセル公演とパリの滞在制作公演の旅行日記です。
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万事スムーズな海外旅行だといいのですが、今回は初っぱなからいろいろとありました(笑)。
ひとり旅はなにかと不利。でも旅なれているせいか、トラブルもまるである種のゲームのようにかんじられるのでした。

関空発→ブリュッセル行

4/19関空からアムステルダムで乗り換え、ブリュッセルへ向かう。
国際線の機内液体物持ち込み制限が今年3月から導入されたので、荷物の仕分けに悩んだ。
一回り大きいキャリングケースも旅行前に買うはめになった。
持ち込みは100mリットル以内の容器に液体物を入れ、すべては縦横40cm以内の透明ケースに、しかも余裕をもって収まっていなければならない。
なんとややこしい;)
でも、ちゃんと準備してチェックの時に取り出して提示すれば、わりとスムーズにセキュリティーは通れました。
ゲートに入ってから買ったドリンクは機内に持ち込めるとのこと、なのでスポーツドリンクを購入。

アムステルダムに到着し、トランジット。
さっさと乗り継ぎゲートへ向かう。
スキポール空港は広いのでかなり歩いて、セキュリティー・チェックへ。入り口で大きなゴミ箱が置いてある。ここで持っていたペットボトルをあっさりと放り捨てた。乗り換えでもやっぱり透明ケースの液体物は見せなければなりませんでした。
日本人の中高年夫婦がつかまっている。「これは何?」「クリーム..」「残念ですが、大きすぎますよ、これは機内に持っていけません」「バット、アイ・ボート・ディス..」婦人は当惑して顔をゆがめている。それは免税店で購入したばかりの高級そうな化粧品クリーム、どうも放棄しなければならない様子。
お気の毒に..。

・旅の教訓その1 - 乗り換え空港で、100mリットル以上の液体物は買うべからず。もしくは捨てるつもりで買うこと。

ブリュッセル行きの飛行機はなんとプロペラ機でした。
こんな広い空港で乗り換えが約1時間ほど、しかもこんな小さい飛行機に自分の預け荷物ははたして運ばれているのだろうか? 
 なんとなく不安めいた予感が頭のなかを過ぎりました。

ブリュッセルに到着。
案の定、待てども待てども、廻りつづけるベルトコンベアに自分の荷物を見つけることはできませんでした。
KLMのクレーム・オフィスを探しあてたが無人だったので、作業員に呼び出してもらう。奥からハ〜イっていうノリで現れた担当者にコンピュータで調べてもらったら、「残念ながら、あなたの荷物はまだアムステルダムですわ。明日朝にホテルに届けるよう手配しときます」とのこと。

やれやれ..。

もらったポーチには歯ブラシやカミソリ、スカイチームのTシャツが入ってました。明夜の演奏に必要なラップトップや最低限のものはリュックに入れて持っているので、けっこう落ちついたもんです。こういう場合に備えて、ふだん愛用している敏感肌用洗顔&化粧水を一晩分だけ予備で持ち込んでいたのも、正解でした。

・旅の教訓その2 - 飛行機の預け荷物がもし届かなかったら?ということを念頭に入れて、荷づくりをする。ほとんどの荷物は24時間以内に戻ってくるらしい。

やれやれ..。

タクシー乗り場では長い列が渦をまいていました。どのくらい待つだろうか。フェスティバルで忙しいので、誰も迎えにきてはくれないと知っている。

やれやれ..。

やっとタクシーに乗って会場近くのホテルに向かう。
「あら、メーターを動かすのを忘れてた、ドジったわ」と女性ドライバー。
走っているうち、ゴムッという衝撃が背後から伝わった。
後ろを走っていた車にあてられ、少々へこんだよう。ドライバーは車を路肩に停めて、追突した車の運転手に保険証書を記入してもらっている。「バックミラーで目撃できてラッキーだったわ」とにこにこ顔だ。

やれやれ..。いつホテルに着けるんだよー。

それでもやっとこさホテルにたどり着いて、「飛行機はスムースだったんだけど、荷物が明日届くわ」と老フロントマンに告げると、彼はそうかそうか、と穏やかにうなずいた。ひとの荷物のことなんかで誰も驚きはしない。「このホテルの真ん前にあるのがコンサート会場、 Les Hallesですぞ。そこであなたの友だちが待ってます」と教えてくれた。共演者クラウディアも今日パリから到着したところらしい。
この時間の流れ方、まさにヨーロッパにやって来たんだと、つくづく感じるのでした。

翌日昼、遅れた荷物のキャリングケースがホテルに無事到着。バンザイ!
これで晴れて本番に間に合う、万事はセーフなのでした。

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写真左:ブリュッセルを代表する広場、グラン・プラス。じつに壮観です。
写真中:街に歴史ある小便小僧。2,3才の赤ちゃん系です。これ原語はManneken Pis っていうのね、おっかしい;)
写真右:チョコレートのお店のファンシーな商品展示(チョコがしたたってます)
27日朝11時、フリンダース駅で待ち合わせ。サウスバンク方面からヤラ川の橋を渡ってすぐ、とても綺麗な駅です。station2.jpg
フィリップ・サマーティスさんとランチをご一緒しました。彼はリサーチとフィールドレコーディングのために、10月末から東京に数ヶ月滞在することになっています。もう、すぐなんですね。
昨年のこと、わたしがメルボルンでパフォーマンスをした際に、彼がウエスト・スペース・ギャラリーの企画をしてくれました。機材の手配やらお家に泊めていただいたり、何から何までお世話になりました。食事をとりながら、お互いの近況ばなしをしました。彼が先にキュレートしたベルリンのサウンドアート展や、ヴューマスターズのイベントの話、新作のCDをいただいたり、リラックスした時を過ごしました。





6時、公演三回目。

ミチとジュンがお互いに英語と日本語をまじえてインタビューし合う場面は、「今日はどんな質問をするんだろう?」と毎回楽しみにしています。以前はぜんぜん英語がわからなかったミチもここに来て、だいぶん理解できるようになっていました。旅行の前に買ったという電子辞書も一躍かっています。それにしても、飾らない明朗な受け答えが、現地の人々にも伝わるらしく、客席から笑みがこぼれます。
アンパンマンのシーンでは、「パン屋にもどって、新しい頭を手に入れます」という英語の解説のところで、くすくすと笑い声が起こりました。

dinner3.jpg公演後は、ルーシーとパートナーでこれまた振付家のギリアンのお宅へ。ルーシーの手料理によるディナー・パーティーに招かれました。2組のダンサーズや関係者たちがつどって、ホーミーな雰囲気が素敵です。お料理はデザートまで絶品でした。それにしても、一日かけて皆のために準備して料理をふるまう振付家のルーシーは、なんて心優しい人なんでしょう。いろんな面で、ほんとうに尊敬すべきアーティストです。







28日、公演四回目にして、最終日。

イントロ → ジュン・ソロ → ミチ・ソロ → 着付け → 猫 → テクノロジー → オーストラリア → インタビュー → アンパンマン→ 睡眠 → 出会った印象(マネキンの腕の話) → 暗転

やったー! 各セクションを通過して、完了!

日本-オーストラリアのダンス・エクスチェンジ・プロジェクト2006の一環で、2年前にダンサーのオーディションで始まり、今夏から製作が始まった「Lucy/Kota」の全回が、とうとう無事終演しました。
感慨ひとしお。しかし長いプロジェクトの祭りのあとに、なごり惜しい気持ちもします。


9時半からShedで、クロージング・パーティーが開かれました。shed.jpg特設ステージも設けられ、バンドの演奏やもちろんDJも夜通しあります。途中、入場制限をするほどの人が集まってきました。2組のダンサーズや通訳スタッフのミキさん、ユメコさん、ジェインさん、みんな和気あいあいとして、ノリノリで踊りまくっていました。

明日早朝にメルボルンを発ち、わたしたちは大阪へと帰路に向かうのです。
ルーシーをはじめ、気のいいダンス仲間たち、親切なスタッフへ、感謝の念にたえません。
日本側のプロジェクト・コーディネーター、JCDNの皆さんにも支えていただき、すっかりお世話になりました。



今回のフェスティバルでは、個人的に観たいものは、すべて観たというかんじです。
カンガルーとコアラとペンギンの行進だけは、見物する機会をまた逃しましたけど。
メルボルンは大好きなので、また来年も何とかしてVMプロジェクトなどで、訪れることができればいいなあ、と夢見ます。
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25日昼1時から、報道関係者を招いたプレヴュー。

暗闇のなか、2人のダンサーの足音が聞こえて、照明のレーンに添って横っ飛びであらわれます。緊張感がただよう瞬間です。「ジュン、ミチ、ジュン、ミチ」の連呼はやっぱりユニークでほだされます。床のスポット・ライトの輪のなかにジュンが入って、一曲目をスタートさせる。いくつかのキューの直前は神経を集中させています。うまくクリアできました。部分的にバック・ライトの明度が低すぎるところは、後で調節することに。

4時からは、広太組の4フィービー、リー、ニック、ジョアンヌと、ルーシー組のミチ、ジュン、合わせて6人のダンサーが合同で、舞台上でウォームアップを始めます。雑談もまじえて、リラックスしながらストレッチをしたり、お互い動きを確認し合ったり、身体を温めています。

客席後方の木枠で囲ったオペレーティング・ブースでわたしは演奏します。両脇にPA卓と照明卓、狭いカウンターに3人が座りますが、高い椅子も用意されているのでステージ上のキューもはっきり確認することができ、落ちついて本番に臨めます。
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6時、メルボルン公演初日。大入り満員のきわみです。
ショーは2本立てで各35〜40分程度です。

「Setting」が始まりました。
白むく 花嫁衣装のシーンでは、場内から笑いがこぼれる。「はい、足袋をはいてください」と日本語でてきぱきと着付けの手順を説明するミチ。花嫁役の方は男性のジュンで、英語で通訳をします。途中で、口をふさがれてタコ八のようになったり、まるでマンガのように可笑しい。ここで掴みがあって、あとはうまく流れに乗っていくかんじです。2人がそれぞれ睡眠しているシーンでは、ユメコさんによってステージ上に淡々と並べられてきた物たちが、薄明かりのなかに地図のように浮き立って効果的でした。マネキンの腕の動きを2人一体になって演じるラストは、ゴングの音が四方から交互に鳴るようにしています。2人がゆっくりと別方向に立ち去り、観客はステージ上に残されたソックスや大根や皿で描かれたパターンを眺めることになります。音楽は長いフェイドアウトで最後の鐘の余韻。そして照明がブラック・アウト。
キマリました! 拍手の渦のなかおじぎをして、皆にっこりしました。

舞台転換のため間に休憩を挟みます。

「Chamisa 4°C」。またここで観ることができました。
日本公演より、ステージが狭いので全体的に縮小されたかんじはいなめません。部分的にメルボルン用に変化したところもあって、線香花火の演出や、セリフが変わったり、おもしろい発見がありました。悲鳴をはっしたり、怒鳴りあったりと、ヒステリックな部分、美しくも哀しい自己憐憫など、死にいたる激しい心の葛藤を目にみえるかたちにした問題作です。ほんとうに若い4人のダンサーはいつも忍耐強く、真摯に取り組んできたというのが、舞台を見ていて感じられます。こういう振付家の野心的な作品を受けとめるのは、交流プロジェクトを期待してきた観客には賛否両論あるかもしれませんが、舞踏のエッセンスを取り入れた異形のダンスがここにあり、というかんじです。これもまた拍手が沸き、いいスタートをきりました。


flower.jpg楽屋では、プロデューサーのロージーたちから花束と心のこもったメッセージ・カードをいただきました。それにしても可憐な花で、日本ではいちども見たことのない種類でした。
今夜の公演をいくつかの友だち、ジェインさんや、サウンドアーティストのフィリップ・サマーティスさんと伴侶マデリーヌさんも揃って見に来てくださいました。ロビーでシャンペンを乾杯、その後はアーティスト・カフェShedで内輪のパーティーがあり、皆で飲みながらおしゃべりをしました。ビクトリア国立ギャラリー(NGV)インターナショナルでもうすぐ開催される「TEZUKA」展のキュレーター、フィリップ・ブロフィーさんにも昨年につづき、ここでばったりと再会できてよかったし。とても幸せな気分でした。


26日正午、Shedにて、アート・コーディネーターのジャインさんと3人の若い美術家とのミーティング。彼らは来年の1月〜2月に計画されている、View Mastersの日豪交流関連イベントのために来日を予定しています。こちらのコンセプトを伝えたところ、すんなり理解してもらえたようで、相応した作品をレジデンス制作するとのこと。音響彫刻やメルボルン-大阪の地図を素材にしたもの、フィールドレコーディングも軸になっています。VMワークショップのライブラリーにも参加したいとのこと、積極的で安心しました。また、今回の共通のテーマは"トラム"で、路面電車のなかでコンサートを実施する計画があります。大阪では阪堺電車、ここメルボルンの市内でもトラムは走っていますから、双方でプロジェクトの開催を進めていくというわけです。オーストラリア側はジェインさん、日本側はアーツアポリアの小島さんとのやり取りは、まだこれからというかんじです。とりあえす、3人のアーティストと実際にお話しできて少し見えてきました。DVDなど資料をいただいたり、つい先日、サムデイ・ギャラリーでディランの個展オープニングも拝見できたことだし。
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6時、公演二回目。

「Setting」は、かなり好意的な評判を呼んでいて、なかでも「あの女性ダンサーは可愛かったね〜」という声をあちこちで耳にしました。ルーシーによると、「水も滴るほどチャーミング」とミチのことをたとえた人がいたそうです。昨夜より、もっとダンサーたちががのびのびと踊っていたようにかんじました。


7時半、アート・センターの大劇場へ。
ビル・T・ジョーンズ/アーニー・ザーン ダンス・カンパニー「Blind Date」を鑑賞。

2004年に創作された演目なので、オンタイムで出会いたかったなーとは感じましたが、それにしてもパワーある一作でした。社会的なメッセージを皮肉っぽくに織り込み、複数の映像スクリーンやテロップ、アヒルの着ぐるみまで飛びだして、様々な状況を想定させる。テレビなどの報道やモラルの圧力に翻弄されるアメリカの社会に起きているデモクラシーの揺らぎ、例えばそれが愛国心、戦争、災害、宗教的な論議だっりたりする。様々人種、様々な価値観があっていいはず、しかし自己を見失うことの危機、ダンサーがグループになって、「Me!」といってぶっ倒れる者に、跳びより支え合うゲームのような動きが繰りかえされました。ビルは背広姿でステージ上で煙草を吸いながらひとりの人物を演じる、時にセリフを唄いまわしたり、その声の抜けることといったら。HIVポジティブになりはしても、20年間も健康体を保っている強靱さはカリスマ的。オーケスラ・ピットにバイオリンやキーボード、ハンド・ドラムなどの小楽団、舞台上のセリフや歌もぜんぶ生で、ダンス作品におけるライヴの醍醐味を味わえました。
22日は夕方までスタジオでリハーサル。通しをステージ・マネージャーのフロッグに見せて、流れを把握してもらう。
本番の劇場ベケット・シアターは、京都や山口公演のステージより横幅が狭いので、足幅や数をダンサーの方で調整し直す部分もでてきます。舞台の空間をシュミレーションしながらの練習です。

晩はプレイハウスに、山崎広太/Fluid hug-hugの公演「Rise: Rose」を見にいきました。
雲のようにぶら下げられた綿にカラー・ライトがあたり、薔薇の花びらを散らした四角い小さな貯め水に、ぽたっ、ぽたっと水滴が落ちる。そんな微妙に変化するインスタレーションのような舞台装置の間で、3人のダンサーが連なったり、ソロをとったり、舞踏のようなだったりと、次々に動きを紡ぎ出していく。音響系のサウンドと同期するでもなく、展開するでもなく、ひたすら動きの妙のなかに漠とした時空間を見いだしていくような、そんな感想をもちました。


23日昼、わたしたちの公演「Setting」に欠かせない、ステージ・レイアウトの役をしているユメコさんが後追いでメルボルンに到着しました。彼女はJCDNのメンバーであり、通訳でも作品に貢献しています。チーム全員が揃ったところで、共同リハを開始。今回の公演では、ステージ上に置くスプーンやスポンジやバンドエイドにまで蛍光塗料を付けて、ブラックライトで浮き立たせてみたい、というルーシーの案。舞台で物たちが薄く光るようにアップグレードします。
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赤レンガの会場マルトハウスの向かい側には、巨大な赤鉄の壁の建物でACCA(オーストラリアン・センター・フォー・コンテンポラリー・アート)があります。そこのロビー入り口の出店は、オーガニックなドリンクが売りものです。ルーシーに「ここのオーガニック・コーヒーが最高なのよ、安いのにね」と教えてもらったので、豆乳入りのカフェラテをオーダー。もう、やみつきになる味わいです。メルボルンはコーヒーがまろやかで美味なので有名です。飲み方もカフェラテ、カプチーノ、フラットホワイト、エスプレッソと、いろいろと種類をオーダーできます。

夕食には、ルーシーのオススメの中華料理レストランについていきました。皆でトラムに乗って、シティのチャイナタウンまでわざわざ足を伸ばす。そのかいあって、われもわれもと舌鼓をうちました。


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ベケット・シアターでは、スタッフによって照明と音響機材の仕込みが朝から並行して進んでいます。
会場に入ると、4チャンネル用のリア・スピーカーがもう吊ってあり、軽く音だしもできました。音響担当のジェームスとざっとバランスをチェック。残り時間は、ダンサーの舞台位置に合わせて照明をあてる作業が深夜まで続きました。いよいよ、これが始まると身がひきしまる思いがします。

24日朝、PAの細かい調整をします。4チャンネルサラウンドにはちょうど手頃な大きさの会場でした。床や壁面などの材質が木なので、適度な反射とぬくもりのある音がします。ベースの帯域を持ち上げ、前後スピーカーの音量調節をしたくらいで、あっというまに好ましい音空間ができました。どこに座っても4チャンネルの効果は感じられ、実によくできた空間設計だと感心、小規模だけどスピーカーも良質なものを設備しているんだと思います。コンピュータのプログラムはぜんぜんいじらなくて済みました。ダンサーの足音を拾う床マイク、インタビューのシーン用のワイヤレス・マイクのチェックも終了。これでもう安心です。

照明のポイントや明度をチェックしながらの、リハ完了。
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8時半から、同じマルトハウス内にあるひとまわり大きな劇場メーリン・シアターで、カナダのアーティスト、マリー・ブラッサ−ドの公演「Peepshow」がありました。
椅子に座り、ストーリー・テリングをする一人芝居。期待していたほど映像は使ってはいませんでした。モンスターの声と少女の声が切り替わるような演出。裏で音楽担当の人がMIDIキーボードでピッチを操作していたようです。怪しげでエロっぽい雰囲気はおもしろかったのですが、英語の語りを少しでも聞き逃すと、事のなり行きが分からなくなります。ステージでの動きがほとんどないため、途中で眠くなってしまいました。連日の疲れもあってのことか。
20日の朝、チャンキー・ムーブ・スタジオでリハーサル開始。床の木や壁の色調がオレンジでとても明るい、簡単なPAスピーカーも揃っています。ダンサーたちは京都・山口公演のDVDを見ながら復習し、軽く流して終了。
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わたしたちの泊まったホテル部屋にはちゃんとしたキッチンがあり、間取りも広くて快適です。1階にはジムやプールの設備も有りました。ただ、セキュリティー管理のためか、エレベーターの各階へキー・センサー無しではいけません。なぜか3人が別々の階に泊まっていたので、こういうのに慣れるまではちょっと不便でした。
あと、前情報では部屋にはインターネット回線があるというので、てっきり無料かと思っていたのですが、実際は使用料が別途でかなり高めでした。ブロードバンドは日本のビジネスホテル並にはいかないようです。

ということもあって、フェスティバルではShedという仮のアーティスト・カフェを設け、無線ネットが無料で提供されています。Eメールのチェックをしたり、フェスティバル関係者やアーティスト同士の交流を深める場所になっています。


夜はプレイハウス劇場へ。ダムタイプの公演「Voyage」をミチと観ることに。
友人のまみちゃんは、テレミンで演奏活動もしていますが、ダムタイプのダンサーとしても長年活躍していることで知られています。同じフェスティバルで会えるのをうきうき、楽しみにしていました。
移動、夢、死、宇宙、精神、様々な方向からハーシュな"旅"をイメージさせるステージ。洞窟で遭難のシーン、宇宙遊泳とオーバー・ザ・レインボー、意外と分かりやすくユーモラスで、ファンタジックな要素も共有しているんですね。あの映像と音楽でカットアップされた場面の転換は、脳裏に強く沈着していくものがあります。


21日は一日オフ。友人のジェインさんが街歩きにつきあってくれました。
シティの真ん中にあるクイーン・ヴォクトリア・マーケットへまず直行。規模が大きくて、果物、肉、魚、雑貨など、各舎に区分けされています。種類も豊富な食材が揃っていて、グルメなメルボルンの人々の食生活に密着しているようです。
ダンス・スタジオを松山で運営しているミチは、教え子たちのために150個ものコアラのミニぬいぐるみをお土産に買いました。
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RAPT!という20人の日本の現代美術家を紹介する展覧会がメルボルンの各地で開催中。これも日豪文化交流の年ならではの催しです。ジェインさんに連れられて、ウエスト・スペース・ギャラリーの伊藤存、青木陵子、高谷史郎 展へ。(昨年10月、わたしがステレオ・バグスコープのパフォーマンスをしたギャラリーです)。
次にトラム(路面電車)に乗って、Gertrude Contemoirary Art Spacesの高嶺 格 展へ。


夜7時半から大劇場ステイト・シアターで、ロバート・ウイルソン作品「I La Galigo」 を鑑賞。
インドネシアのSulawesii伝承の長い物語、Sureq Galigoをベースにした舞踊ドラマ。その古い言語を理解できるのは百人に満たなくなっているそうです。上界、中間界、下界を行き来する神々の歴史が、詠い手によって導かれていく。観客は英訳されたテロップでストーリーを追うことができます。民族楽器や唄の楽隊がステージ上で、踊りに合わせてセリフまでリアルタイムでやってのける。オリジナルの音楽や舞踊形式を取り入れながらも、やはりそこはロバート・ウイルソンの審美眼がそなわった、完璧なまでにで端正な舞台劇になっていました。照明や舞台装置、キャストの見事さと気品に、夢見心地でどっぷりと3時間浸りました。壁画を彷彿とさせるゆっくりとした動きのイントロ、動物や蝶や舟漕ぎの笑えるシーン、磨きあげられた舞台でした。


もうすっかり、フェスティバルの恩恵にあやかっています。ビジター・センターやアーツ・センター内のボックス・オフィスでは、キャンセル席を売りさばくため、当日2時からラッシュ・チケットが発売される。わたしは運よく、たった19オーストラリア・ドルで1階のど真ん中の席を確保できました。すばらしい! 

スピーグル・テントは、夜11時半になったら、アーティストパスを見せると無料で入場できます。愉快な仲間たちと一緒にちょっと覗いてみることに。DJでかかっている音楽がアメリカ南部のケージャンとかオールディーズの雰囲気を演出していました。スクール・パーティーっぽい踊りが笑えました。
10月19日〜28日、メルボルン・インターナショナル・アーツ・フェスティバルに参加しました。
日豪交流ダンス・プロジェクト - AJDX の『Lucy/Kota』四回公演。
この夏のクリエーション、京都・山口公演を経て、メルボルンが最終舞台となります。
わたしは毎回の公演でコンピュータを演奏していました。
愉快なダンス・チームとの渡豪の旅日記です。
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18日の夜便、2人のダンサー、ミチとジュンと一緒に関空を発つ。
離陸の時こそ、ちょっと飛行機恐怖症のミチの手を握りましたが、飛行機はがらがらに空いていたのでだったので、横になったりけっこうくつろげました。
19日早朝にブリスベンで入国審査、国内線に乗り換えメルボルンへ。

サウスバンク地区にあるホテルに到着するやいなや、フェスティバル関係のプロデューサーやスタッフと顔を合わし、さっそく会場のあたりを見てまわる。
アーティストや関係者用に配布される布鞄の中身を見てみると、Tシャツ、バッジ、プログラム、パスカードなどなど、フェスティバルのグッズが入っていました。うれしい!
フェスティバルのダンス公演は、主にアーツ・センターとCUBマルトハウスの中にある大・中・小の会場で開催されています。
音楽のイベントのためにスピーグル・テントも仮設されていて、プログラムも盛りたくさん。
すべてホテルから歩いて10分ほどの範囲内にあるので、何かと便利です。
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晩には、我がチームの振付師であるルーシー・ギャレンの新作「Structure and Sadness」を3人こぞって見に行く。
会場メーリン・シアターのロビーですぐにルーシーを見つけて、抱き合い喜びを分かちあいました。夏の日本公演以来、一ヶ月半ぶりの再会です。

作品の方は、1970年に建設中だったウエスト・ゲイト・ブリッジの崩壊事故による悲劇を題材にしたダンス。木の板を積み木のように床に並べたり、組み上げられたりが、ステージ上で象徴的にくりひろげられる。6人のダンサーの身体もパズルのように、また工事現場の労働者の状況を思い描くように絡まりながら動いていく。鉄板のシーソーを使った演出、女性ならではのきめ細やかな視線が生きた作品でした。今夏に来日したベン・コブハムのセット&ライティング・デザインのセンスもさすがです。

振付家ルーシーの地元人気は確かで、この公演も盛況でしたが、もう一つ小さな劇場で公演される『Lucy/Kota』のチケットも早々とソールドアウトになっていました。友人のチケットさえもキャンセル待ちなど、入手困難な状況でした。
6月14日、朝10時。帰国の旅の荷づくりを 完了、最後のゴミもまとめた。昨夜のうちに、ひととおりさっと部屋やバスルームの掃除もすませてしまった。

コンコン、とドアを叩く音。「ボンジュール!」ソフィーがやって来ました。「どう?パリをじゅうぶん楽しめた?」と彼女。「うんうん、忙しかったけど、すべて順調にいって、ここは快適だったわ。そうそう、サクレ・クールまで歩いていったの」とわたし。「それはよかった」彼女は微笑しました。アパートの戸締まりをして鍵をソフィーに渡し、また7階から旅行鞄を降ろすのを手伝ってもらいます。
しばらくして、空港までのタクシーが迎えにきました。別れの挨拶のキスを頬にして「ほんとうにありがとう! 何から何まで、メルシー!」。わたしは満面の笑顔で手を振りました。










短かったけれど、一人で18日間アパートで暮らせて、いい経験をさせてもらいました。たんに演奏で立ち寄ったり、ホテル滞在では味わえないような地元感覚で、パリを楽しむことができました。たいして観光もせず、ショッピングもせず、ご馳走を食べたわけでもありませんが、情緒あふれるモンマルトル近くのアパートで自由に過ごせたことは、サイコーの贅沢だったのではないでしょうか。

また日記にはでてきませんでしたが、クラウディアと優しい庭師のシリールの新居にも遊びに行って、ベジタリアンの豆腐料理をいただいたり、とても温かでリラックスした時を過ごせたことに感謝しています。そして、アパートの住人パスカレという娘に、四つ葉のクローバーとともに大きな幸運がめぐってくるようにと願っています。









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6月12日、国立ダンス・センターCNDでひきつづき創作。今回のダンス作品のコラボレーションは、振付家クラウディアとヒップホップ・ダンサーのガバーンを組み合わせてはどうか?という一ディレクターの提案で実現したそうです。本作は24日からはじめるモンペリエ・ダンスで初演されます。昨年6月にクラウディアの作品『オペラ・シャドウ』でわたしも演奏させていただいた大規模なフェスティバル。そして、今回はめずらしくクラウディアもデュオで踊ることになっています。彼女の目論見は、ヒップホップの第一人者として知られるガバーに、実験的な方向へと新境地を開かせることでした。振付の説明をする彼女の動きはぶっ壊れたマリオネットのように、もしくはコマ送りのフィルムのようなかんじでしたが、いちいちポーズがきまっている。今まで、実際に彼女が踊ったところを見たことがありませんでしたが、身体で空間を表現する才能は一瞬にしてよみとれました。7歳からイタリアでダンスを学び、パリで20年間活動しているそのキャリアから、やっぱりさすがだなぁと感じます。なんでまた、歌なんか歌いはじめたんでしょう、もったいない。「ガバーンはどんな音楽でも、たとえ自然の音でも踊れるのよ。床で見事にブレイクダンスできるわ」とクラウディアはのたまうのですが、そんな彼への注文は同期性のない正反対の表現でした。今回のステージは鏡のようなシルバーの衣装に始まり、そのあと二種類のコスチュームに着がえ、最後にはぜんぶ脱ぐと強引に決めている彼女です。「ぼくにはぶかぶかのカーゴパンツが要るんだ。ファンが見に来るからさ、きまりわるいなぁ」とガバーにはそうとう抵抗感があるようです。同じダンスでもこれだけ土俵が違うんですね。わたしは今回音楽のクリエーションだけでモンペリエの方は参加できませんが、これはまさに見ものだったと思います。完成ステージを見ることができなくて残念無念。
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といっても、あと2日間で新作のダンス音楽25分を仕上げなければなりません。まだダンスも音楽も前半の部分しかできていない、どうしよう? クラウディアは振付をはじめると、それしか頭にないほど厳しい表情になって、音楽のことはそっちのけです。「そして、後半のダンスの展開はどうなるの?」とわたしが訊いても、「まだ細かい部分は何も考えてないのよ」というような会話が続いていました。しょうがないので、数日前から彼女のイメージに合いそうな音素材をラップトップに集め、こちらはこちらでプログラミングの作業を淡々と進めていきました。14日の朝にわたしはパリを発つので、何がなんでも明日までに録音を完了してしまわなければなりません。
CNDからアパートに帰ってからも、ラップトップとヘッドフォンで恨詰めて作業を続けました。わたしのふだんLiveで使っているのは、コンピュータ・キーボードを弾いてオーガニックに演奏する方法で、かなり反則技を多用しています。しかしそれを録音しようとするならば、CPUに負荷をかけすぎて即クラッシュしてしまうことは承知のこと。その解決策として、MIDIトラックに演奏的要素をすべてプログラムし、9つの部分に分割しながら録音していくことにしました。そうすれば25分の組曲に繋げることができるだろう。やっと曲作りの作業を終えたときには、時計の針はすでに午前3時をまわっていた。「まったくパリにきてまで、こんなオタクな夜なべ作業をするなんて! 」


6月13日、最終日。わたしはスタジオ4のスピーカーを大音量で鳴らしながら、ラップトップの曲のボリュームやつながりを最終調節。クラウディアとガバーンはあいかわらず、前半のダンス部分を復習していました。クラウディアは衣装の仮縫いのシルバーの端布を頭に乗せて、鏡に向かってイメージをふくらませている。それを横目で見やって、わたしはニヤリと笑う。彼女はおかしなことを大まじめに実行する特技をもっていて、真のアーティストなんだなぁと感心します。
「うまく焼けたわ!」とわたしは誇らしげにCDを頭上にかざしました。できあがった曲をプレイヤーに乗せてスピーカーで再生すると、「あっ、ほんとう!」とクラウディアとガバーも顔をほころばせました。やれやれ、これで仕事は終わった。あとは、モンペリエまで二人でがんばって、いい舞台をつくってくださいね!


"How to dance" - スタジオ4のホワイトボードには、誰かがレッスンで書き残した絵があったので、写真に撮っておきました。
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6月10日、ウイーンからクラウディアと二人して、パリにひと戻り。

「今晩は、フランスの北へ列車で向かって、短いソロパフォーマンスをするの」とクラウディア。彼女は2〜3のプロジェクトを同時に並行しておこなっていて、多忙の身。ここで詳しくは述べませんが、数年前にフランスでのアーティストを保護する制度が大きく減退されました。以前は、わたしのようなしがない日本人ミュージシャンからしてみると、フランスのアーティスト貴族ともいうべき暮らしぶりに余裕のあった彼らも、いまや生き残りをかけて働きまくっているという傾向にあります。
ですから、わたしは夕方から一人でCNDへラップトップを持参し、新作ダンスのための音楽づくりをすることにしました。


昼間のわずかな空き時間に、モンマルトル界隈を散策することにしました。
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いたずらっぽくて妄想好きな女主人公とモンマルトルの下町風景が魅力的だった映画「アメリ」にも登場するカフェ、レ・ドュー・ムーランを探して細い筋を通る。大通りに面するムーラン・ルージュから、モンマルトル墓地の中央入口へはまっすぐ近く。今日はかんかん照りで蒸し暑かったのですが、墓地の木立のなかに入るとひんやりと涼しい。この墓地には、ダリダ、ニジンスキー、ハイネ、トリフォーなど著名な芸術家が眠っています。が、ゆっくり歩きまわる暇はありません。もうダンス・センターに行く時間がきてしまいました。墓標のあいまでくつろぐ猫さんに「さよなら」の挨拶をして、そそくさと立ち去りました。
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6月11日、わがアパートの台所で昼食を作っていた最中に、"コンコン、コンコン"と表扉をノックする音が聞こえた。

ぎょ!? わたしはびっくりして、立ちすくんだ。そのうち、「Haco?」と小声で呼ぶ女性の声が聞こえたので、こわごわ戸のすき間から覗いてみた。そしたら、褐色の肌に日焼けして、黒髪をポニーテールにした娘が微笑んでいた。「あのう、パスカレです。ここの住人の」と照れくさそうにその娘は言いました。「ごめんなさい、今日帰ってきたんだけど、自分の服やモバイルを部屋から持っていきたいの。ほんのちょっとだけおじゃましていいかしら?」そう控えめに尋ねた。わたしは恐縮して「もちろんです」と応えた。「あなたは、ベトナムに旅行してたって聞いたわ」。「そうそう、一ヶ月もね。そりゃすばらしくって、すっごく美しいところでだったわ」と彼女はいまだ興奮さめやらぬというかんじでした。「あなたは、フォトグラファーなの? だって冷蔵庫にフィルムが、、」。「ううん、写真では食っていないのよ。ただ、いつでもアートに興味があって関わっていたいと思っているの」。

やっぱり、想像どうりの快活で素敵なお嬢さんでした。わたしに13日まで部屋を貸しているせいでしょう、2〜3日は、友人宅に泊まるということでした。
「ほんとうにお会いできてよかったわ!」そう、わたしは心から喜んでいるのを伝えました。
HACO
歌手作曲家、プロデューサー、サウンドアーティストとして精力的に活動中。
元アフターディナー、ホアヒオ、ヴューマスターズ(現音採集観察学会)を主宰。
隔月刊ニュースレター配信中。

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